D日記

モーションアーティストの技術ブログだよ。日常も書くよ。

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愛犬との散歩で見えた「裁量権」という名の檻

「お散歩行く?」 この一言に愛犬はなおはしっぽを千切れそうな勢いで振る。 けど、ふと思ったんだよね。 あれ、これって本当に犬のためになってるのかな?って。

犬って、自分の好きなタイミングで散歩に行けない。 飼い主の気分次第、予定次第、天気次第。 極端な話、飼い主がソファから動かなければ、永遠に散歩は始まらない。

これはつまり、「犬には裁量権がない」ということ。 自分の意思で、自分の行動をコントロールできないってちょっと悲しくない?

その瞬間、なぜか脳内に稲妻が走った。 「……あれ、人間も同じじゃない?」って。

  • 食事の時間は仕事や学校に合わせて決まってるし、
  • 遊びに行くにはお金が必要だし、
  • 寝る時間すらスマホと社会の都合に左右される。


結局、我々だって完全に自分の裁量で生きてるわけじゃない。

もうひとつ、さらに拡張して考えてみた。 我々が「自由に生きてる」と思ってるこの地球すら、実は檻なんじゃないかって。

犬がリードを引っ張って「こっちに行きたい」って言っても、飼い主が動かなければそこには行けないじゃない? あれと同じで、我々人類も“何か”にリードを引かれて生きてるだけなんじゃないか。

  • 国家、社会、制度、経済、法律、天気……そして、
  • 地球という惑星の物理法則や、宇宙という存在そのもの。

私たちはこのスケールの違いに気づかず、あたかも自由であるかのように錯覚している。 でも、裁量権って実は最初から与えられてないのかも。

そして、自分のちっぽけさに気づく

はなおが「今日も楽しいね!」って顔をして歩いてるその横で、 飼い主の私は、自分の存在がどれほど小さなものかを噛みしめていた。

犬にとっての檻は、家やリードかもしれない。 でも人間にとっての檻は、もっと見えづらいだけで、ちゃんと存在してる。

それでも、日が差す公園を一緒に歩いてるこの時間だけは、 檻の中でも悪くないと思えたんだよね。