「お散歩行く?」 この一言に愛犬はなおはしっぽを千切れそうな勢いで振る。 けど、ふと思ったんだよね。 あれ、これって本当に犬のためになってるのかな?って。
犬って、自分の好きなタイミングで散歩に行けない。 飼い主の気分次第、予定次第、天気次第。 極端な話、飼い主がソファから動かなければ、永遠に散歩は始まらない。
これはつまり、「犬には裁量権がない」ということ。 自分の意思で、自分の行動をコントロールできないってちょっと悲しくない?
その瞬間、なぜか脳内に稲妻が走った。 「……あれ、人間も同じじゃない?」って。
- 食事の時間は仕事や学校に合わせて決まってるし、
- 遊びに行くにはお金が必要だし、
- 寝る時間すらスマホと社会の都合に左右される。
結局、我々だって完全に自分の裁量で生きてるわけじゃない。
もうひとつ、さらに拡張して考えてみた。 我々が「自由に生きてる」と思ってるこの地球すら、実は檻なんじゃないかって。
犬がリードを引っ張って「こっちに行きたい」って言っても、飼い主が動かなければそこには行けないじゃない? あれと同じで、我々人類も“何か”にリードを引かれて生きてるだけなんじゃないか。
- 国家、社会、制度、経済、法律、天気……そして、
- 地球という惑星の物理法則や、宇宙という存在そのもの。
私たちはこのスケールの違いに気づかず、あたかも自由であるかのように錯覚している。 でも、裁量権って実は最初から与えられてないのかも。
そして、自分のちっぽけさに気づく
はなおが「今日も楽しいね!」って顔をして歩いてるその横で、 飼い主の私は、自分の存在がどれほど小さなものかを噛みしめていた。
犬にとっての檻は、家やリードかもしれない。 でも人間にとっての檻は、もっと見えづらいだけで、ちゃんと存在してる。
それでも、日が差す公園を一緒に歩いてるこの時間だけは、 檻の中でも悪くないと思えたんだよね。